美しい日本の姿、心を後世に伝えたい

あい☆えがお 山本えり

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新蛇田集会所講演

2017.9.15 石巻訪問。新蛇田集会所で講演させて頂きました。。

9月16日~18日、全国のお仲間の皆様をお連れして、石巻へセイクレッドダンスとあわうたを響かせる旅の前に石巻の招福仙人こと、伏見不二雄さんのおかげで、9月15日にひと足早く入らせて頂いて、石巻市の復興住宅 、新蛇田集会所と、夜は伏見さんの飛翔閣さんで、講演させて頂くことが出来ました。

午後、伺わせて頂いた新蛇田集会所では2011年の秋から3年間、あい☆えがおの活動のひとつとして、毎月 支援物資『あい☆えがおBOX』をお届けさせて頂きました。
泊浜山王の元区長、松川さんご夫妻も駆けつけてくださって、本当に嬉しい時間を皆さまと過ごさせて頂きました。

私など、想像も出来ないほどの代受苦を受けてくださった皆様に、 まだまだ、困難の中にいらっしゃる皆様に私の話、言葉、笑顔、存在が、お役に立てるだろうか・・。
皆様に 笑顔をお届けできるだろうか・・。
そんな思いも心の片隅に持ちながら それでも、皆様のお心に寄り添いたい、笑顔になっていただきたい、 そう祈りながら、私の出来ること、想いをこめてお伝えさせて頂きました。

「姫路は遠いけど、また来てね。」「会えて良かった。」「今日、ここへ来て良かった。来れて良かった。」
講演のあと、私の傍まで来てくださって 何人もの方がたが私の手や体にふれながら、 握手しながら そうお声をかけてくださいました。
中には、ただ、お側にきて「ハグ してください。」と、お伝えくださった女性も。
こころを込めてじっと抱きしめさせていただきますと、腕の中でポロポロと涙をこぼされて、嗚咽に変わっていきます。
涙を流すこともできない状況の中で、耐えていらっしゃったことが震える体からも伝わってきて、来させて頂けたことを本当に有り難く存じました。

松川元区長の奥様も私の手に、控えめだけどご自分の手を合わせて
「ここのところ、気が沈んで、ずっと辛かったのだけど、山本さんのお話 聞いて、気が晴れた。 ありがとう。 石巻に帰ってきてくれて、 わたしたちを覚えていてくれて、 ありがとう・・。」
涙ぐみながら そうお伝えくださいました。
皆様と、 ハグして 抱きあって、抱きしめて、伊勢の修養団の元道場長 故中山靖雄先生から託された  (そうやってね、みんなを抱きしめて、僕の代わりに、大丈夫・を伝えていってね。 笑顔でね。)を 「だいじょうぶ・・大丈夫・・大好き・・」と心の中で言いながら、お伝えさせて頂ける機会を頂きましたこと、 皆様のお話を聴かせて頂けるお時間を頂戴できましたこと、心から感謝致しました。 
皆様の笑顔に出逢えたこと、お話くださったこと感謝しております。 ご縁をいただきありがとうございました。

建国記念の日に私が想う事

建国記念の日に私が想う事②

建国記念の日に私が想う事、それは、今上陛下・皇后陛下・ご皇室の弥栄を祈り 美しい日本の国と世界の平和を祈り守ることでございます。

私は、2012年から2015年に、ご縁をいただき皇居勤労ご奉仕に4回伺わせていただきました。
そして、そのご縁で、2014年4月には、招待客しか伺うことのできない春の皇居雅楽堂での演奏会に、娘とふたり、身を置かせて頂くこともできました。
勿体ないことに その日は、天皇皇后両陛下ご臨席の日で、たまたま私の席からは、階段をさらさらと登っていらっしゃるお二人のお姿、踊り場では、美智子さまは陛下の斜め左後ろを歩いていらっしゃったのですが、こちらへの階段を一歩昇られる直前に、陛下がさっと美智子様の腰に手をまわし、エスコートなさって、さらさらと一緒に登っていらっしゃる仲睦まじく美しいお姿を拝見することができました。
そして 階段を上がっていらっしゃった時、お辞儀をしているとはいえ目の前にお立ちになった両陛下にもご会釈頂き、美智子さまからは、「ご一緒に。」とお言葉を掛けて頂けるという、本当に有難い体験もさせて頂きました。

皇居勤労ご奉仕に伺いますと、ご公務などで外出されないかぎり 天皇皇后両陛下 そして皇太子殿下に直接お会いでき、お言葉を頂戴できる『ご会釈』という日がございます。

有難いことに私は、4回とも、4日間の皇居勤労ご奉仕で、天皇皇后両陛下、そして、赤坂御用地で 皇太子殿下に、『ご会釈』を頂くことが叶いました。
しかも、いつも代表者のお側に立たせて頂きましたので、1メートル半程の距離で両陛下、皇太子殿下を拝顔させて頂くことができました。

今上陛下皇后陛下に『ご会釈』を頂く館は、前面の壁も扉もガラスでしたので、時間通りに静かに着いたお車から、 優雅に降りていらっしゃるお姿から、お立ちになった車の窓をあけて手を振ってくださるお姿まで、ずっと拝見することが出来ました。

両陛下とも、本当に柔らかく、あたたかな微笑みで、 静かに、静かに、いらっしゃって、各団体 代表の前に足を運ばれ お言葉をかけてくださいました。

 そのお姿は、お優しく、慈しみと 謙虚さにあふれ、皆、感動で涙をこぼしました。
特に 美智子様は 美しく 清らかに 本当に控えめでいらっしゃって、同じ女性として、このようにありたいと 心より祈るお姿でございました。

ご会釈の間、私は度々両陛下と目が合い、微笑んで下さったと感激していたのですが不思議なことに後で皆さんの声をお聞きしますと、列の後ろや会場の角にいらっしゃった方々も皆、
「私の目を見て微笑んで下さった・・・」とお喜びになっていたのです。
なぜ?  と考え・・  そして 思い至りました。

 両陛下は、会場にいらっしゃる前から、その場に集う私どもひとり一人に想いをこめて高い御心で
大切に祈ってくださっていたから そのお心が全ての方に届いて全ての方が、( 私を見て微笑んでくださった・・)と、
場所的に、お顔が見えなかったと思う方まで感激なさっていたのだと思い至りました。

その場に身を置けたことが本当に有り難く、また、日本の国に生まれてきたことに
さらに、深い喜びと感謝を頂きました。

また更に、春の皇居雅楽堂の演奏会では、ロイヤル席にお立になって手を振ってくださった時、大きな感動と感謝・気付きを頂きました。

2階席の私どもは勿論、1階席の方々も皆、立ち上がり両陛下に手を振ったり拍手をしていたのですが、下から、(うふふふふ)という、幸せそうな笑い声があちらからもこちらからも聞えてきました。
きっと皆様、ご自分が声を出して笑っていることにさえお気付きでなかったと存じます。
それ程、感動されて幸せに輝くお顔の目からは皆ポロポロ涙がこぼれているのです。
その姿を見せて頂けたとき、気付かせて頂きました。

それまでは、例えば、東日本大震災の被災地にいらっしゃった時、冷たい体育館にスリッパもはかず、
膝をつき、手を着き、被災者の方にお声をかけていらっしゃる写真など拝見した時、声をかけられている被災者の方が皆 穏やかなお顔をなさっているのを見て
家族も家も全てを失くされた辛い辛い状況のかたでも、陛下の前では 礼儀として微笑もうとなさっていると思っていました。
でも、雅楽堂で 皆様の様子を拝見できた時、いや違う、と存じました。
どんなに辛い状況であろうとも、この方がたは 陛下にお言葉を頂いているこの瞬間だけは、きっとすべてを忘れられているのに違いない。
天皇皇后両陛下は、それ程の存在なのだと、確信したのです。
そして、それは、けっして、天皇 という名前などというものでなく、ただひたすらに、国民の幸せを祈り続けてくださっている存在であるから、
病気も、災害も、苦難も、すべて私の体を通してくださいと 祈ってくださっている存在であるから、
何か起こった時、 すべて自分の至らなさから この様な事象が・と、すべてをご自分の責任として、
祈り詫びてくださっている存在であるから、
私たちは、お会いできるだけで有り難く、幸せを感じることができるのだと 存じました。
2015年12月 清掃ご奉仕に伺った時、皆で、銀座にあるナイルレストランに伺いました。
こちらの ナイルレストランは、今上陛下が 皇居から出前にとられるお店 二つのうちのひとつのインドカレーのレストランです。
そして、 初代AMナイルさんは、昭和天皇から、勲1等を授けられ、晩年は母国のインドに帰り過ごされた方です。

2代目ナイルさんから、特別に、食事の前にお話をお聴きすることができました。
当時イギリスの植民地だったインドで、高校時代から独立運動に参加されていたAMナイルさん。
当局から目を付けられ身の危険がせまった時、日本に留学してこられました。
初代ナイルさんのお父様が、日本に学びなさいと仰ったそうです。
有色人種で白人に勝った国はひとつ。日本だ。
世界一といわれた、ロシアのバルチック艦隊に小さな小さな国の日本が勝った。
それは、力ではない。
東郷平八郎という素晴らしい艦長と 日本の国の徳の高さで勝ったのだ。
兄と同じように、お前も日本に行き、日本に学びなさい、と。
そして、1928年、京都帝国大学に入学され
大学に配属されていた将校を通じて 日本陸軍と縁ができ、日本に亡命していた、ラシュ・ビハリ・ボーズと出会い、頭山満、大川周明ら大アジア主義者との出会いに発展。
満州建国大学の客員教授にも就任して愛新覚羅溥儀・溥傑など、多くの人々とも親交を持った敗戦後、捕虜になられましたが、すぐに釈放。
日本に帰り、そのお蔭で、 東京裁判で唯一人、(日本は悪くない)と
世界に向けてメッセージを出し続けてくださったパール判事に、
日本が戦争をせざるをえなくなった事情、日本の国柄、皇室の尊さ、存在の重要性など
通訳として活躍する前から、毎日、宿泊先の帝国ホテルに通って伝え続けてくださったのだそうです。
あの東京裁判のパール判事の尊いメッセージは、初代ナイルさんの存在が大きかったのです。

「日本は悪くない、精神性の高さ、調和の力、日本は素晴らしいんだ。
日本人、自信を持ちなさい。 いつまでも自虐思想に陥っていてはいけない。
目覚めなさい。 ・・」と、熱く、熱く、ナイルさんは私たちに想いを伝えてくださいました。

陛下がカレーを召し上がりたい時は、ナイルさんの所に侍従さんからお電話が入るそうです。
カレーの準備をしてナイルさん自身が自家用車で皇居へ。 
御所の台所で、準備してきたカレーを温め直したり、盛り付けたりして
陛下ご一家の食卓へお出しになるそうです。
「だから、侍従さんも入れない程奥へ、私は入れて頂いているのですよ。
ご家族で寛いでいらっしゃるお姿もお側で拝見できているのですよ。
だから、お伝えしたいのです。
普段の天皇陛下 皇后陛下、皇太子殿下・・皇室の方々の、より素晴らしい、尊いお姿を。有難さを・・。 」
と、 こちらも 熱く熱く語ってくださいました。

皇太子殿下に初めて赤坂御用所でお会いできました時は、4月3日、皇居で大切なご神事に出席された後でした。
モーニングコートをお召しになった皇太子殿下が、颯爽とお部屋に入ってきてくださった時
その爽やかさと、聡明で穏やかなやさしい微笑みに、尊さに、一瞬で、感動致しました。
感動と感激でご会釈の時間を過ごし、会場から出た時、可愛がってくださっていた団の女性リーダーから声をかけられました。
「えりさん、お気づきになった?」と。
「何ですか?」と、問い直すと、その女性は、
「皇太子殿下は、ご会釈の時、代表の前にお立ちになった間は、瞬きをなさらないのよ」と、教えてくださいました。
お父様が近衛兵として長年、昭和天皇のお側にお仕えになっていた方ということで、
お聴きになったそうです。
皇太子殿下は、ご会釈の時、ご自分が目をつぶったその瞬間に、もし誰かが倒れるようなことがあってはいけない、伝えようとしていることを見逃してはならないと、その様な御心で、瞬きをしないようにされたのだそうです。
挨拶の間、天皇陛下より短いとはいえ、2分ほどはございます。
(天皇になる)という、その御心は、それ程の大きな深いものなのです。
大きな覚悟を持って、その責任を持って、ご自分の命のすべて、一瞬一瞬を生きていらっしゃった殿下のお姿に、さらに感謝し、有り難さに思わず手を合わせました。

私どもは、この様に有り難い存在を頂いていることを知らなければならない、もっと感謝しなくてはならないと、存じました。
両陛下のお姿は、元の日本の姿そのもの。
1万年以上、争うことのない縄文の時代を作ってきた日本人の姿。
私たちには、そのDNA 遺伝子が受け継がれています。
天皇陛下皇后陛下、ご皇室に、守られて、祈られているだけではいけないのです。
これほど素晴らしい存在をいただいているのですから、私たち一人一人が
少しでも、自分の姿、内を磨き、清めて、両陛下の美しいお姿に近づけるように努めていかなければ申し訳ないと存じます。
少しでも、その御心にお返しできるように、ひとり一人が自分の存在で、自分の周りを清め和やかな美しい場にしていけば、日本の国が世界の聖地になって、世界を癒していけます。
それができるのは、ご皇室を頂いている私たち日本の国。
まず自分から、美しい日本語、情緒ゆたかな心、おもいやりの心を磨き、美しい自然とともに大切に守り伝えて参りましょう。
建国記念の日に、今上陛下・皇后陛下・ご皇室の弥栄を祈り、美しい日本の国と世界の平和をお祈りさせて頂きました。

2017・9・16石巻旅の記録

2017・9・16~18 あい☆えがおの 被災地に愛と笑顔をつなぐ 石巻旅の記録 から

2017.9.16  キティさんのこと
「えりさん、僕ね、あの地震がくること、津波で何もかもが破壊されてしまうこと、わかってたんだよ。
それが、地震か津波か何かは分からなかったんだけど、何もかもがなくなってしまうあの光景になること、わかってたんだよ。」
9月16日、お仲間の皆様と被災地を結ぶ石巻旅、飛翔閣さんでの懇親会。

被災地の皆様とつながりたいという想いで続けさせて頂いている あい☆えがおの応援活動のひとつとして、9月15日~18日、想いを同じくしてくださった皆様をお連れして、石巻に愛と笑顔をお届けする旅をした時のことです。
懇親会にご一緒してくださったピンクのキティさんこと、多賀城掃除に学ぶ会 代表世話人の小畑貞雄さんは、そう言って話し始めてくださいました。

キティさんは、9月2日、東京で開催された『日本を美しくする会』(トイレ掃除に学ぶ会)の全国大会のシンポジウムと懇親会で初めて山路さんにご紹介頂きお逢いした方です。
私が石巻に行くこと、その中で多賀城なども参拝することなどお伝えすると、それならば、高砂神社、多賀城のご案内を致しますと、すぐに仰ってくださいました。 ピンクの服が印象的だった方です。
この方が、あの東日本大震災の直後から石巻の避難所のトイレ掃除を始められた伝説の方と知ったのは翌日3日の築地市場のトイレ掃除のあと。  白鳥さんたち、お仲間の方にお聞きして。
そして、16日の懇親会では、もっと凄いお話を キティさんご本人からお聴かせ頂きました。

「僕、あの日の6年程前に、ある日突然、あの光景が目の前に降りてきて見せてもらったんだ。 そして、その次に、トイレ掃除をしている自分の姿を見せてもらった。
何かわからなかったけど、いつかこんな光景に、何もかもが破壊された光景になる日が来るのだとわかった。
そして、そうなっても、自分はトイレ掃除をさせてもらったらいいんだとわかった。
3.11の地震が起こった時、あの見せられた光景と同じことが起こるんだとすぐにわかった。
津波が来て何もかもが破壊されて、自分も被災した。だけど、自分が何をすればいいかわかっていたから迷うことなく、すぐに避難所のトイレ掃除を始められた。
(と、言っても、電気もなく水もなく、掃除道具も何もない、素手で、、、トイレ・・さえ壊れてしまった山積みの糞尿が溢れた そんな場所、状態の中でです )
その場所を掃除することを始められたのです。たったひとりで。
何日かたって、日本を美しくする会相談役の 鍵山秀三郎さんが、キティさんのところに「支援物資を送ります。何が欲しいですか。」と、連絡をくださった時、キティさんは、「支援物資は何もいらないから、掃除道具を送ってください」と、仰ったのだそうです。
相談役は、わかった とお返事をなさって、すぐにテント、寝袋や掃除道具、炊き出しの道具などが届けられました。

そこに全国の、掃除に学ぶ会・日本を美しくする会の多くのお仲間達が集まって寝泊まりしながら、石巻の避難所のトイレ掃除を続けられたのです。何年も。
キティさんは、続けてお伝えくださいました。
震災から6年たったけど、僕は何も困らなかった。迷いもなく、ただ自分がするべきことをトイレ掃除をひたすらにさせてもらってきた。
そうしたらね、不思議なことに、この6年、僕は6人の女性がずっと助けてくれたんだよ。
こんな時に腕時計があったら助かるんだけどな、と、心に思ったら翌日に、全然知らない女性が九州から訪ねて来て、キティさん、腕時計を使ってくださいと言って置いていってくれる。
この靴も服もみんなそう。みんな、あったらいいなと思ったら全国から僕のところに来てくれて貰ったものばかり。

それぞれ別々に、6人がずっと助けてくれたんだよ、と。
   ピンクの服、キャップ、靴も、派手なピンクのキティさん。
なぜ?と、お聞きすると、震災のあと、瓦礫色になってしまった中、ピンクを見たら元気が出た。
自分がピンクの服を着たら元気になれた。僕が、ピンクの服を着たら、周りの被災者も、笑って元気になってくれた。
以来、ずっとピンクを着てる。キャップも、靴も、服も、みんながピンクばかり送ってくれる。
キティさんの名前は、たまたま見せた写真の中にキティちゃんが写っていてそれを見た人が勝手に僕がキティちゃんが好きだと勘違いして送ってくれた。

それを聞いて、また、みんながキティちゃんを送ってくれた。沢山のキティちゃんが全国から集まって、やっぱり、被災したみんなが元気になって子ども達も喜んで。
だから、キティさん。なのだそう。
キティさん、何も望まず、ただ黙々と何年もトイレ掃除を続けられていたら、市役所から電話で呼び出されて、いらっしゃると、担当の方から、運転免許証ありますか? 運転できますか?と、問われたそうです。
できます。と、お答えになると、では、明日から市長の車の運転手をしてください、連絡が付かないと困るから これを持ってくださいと、スマホを渡され、知事のところにも行きますからと、スーツも。
市長の運転手としてのお仕事も決まり、知事のところにもご一緒に出かけられる日々が始まったそうです。
「何も心配いらない。ただ自分がするべきことを、心込めて、させて頂いていたら、続けていたら、ちゃんと見ていてくださって与えられるんだということが、よくわかった。お陰で、僕は何も困らなかったんですよ。」
それが真理とわかっている。けれど、実行するには勇気がいること。
でも、大丈夫と、勇気を頂ける凄いお話をお聴き出来ました。
やはりキティさんは凄い方でした。ご縁に感謝です。
ありがとうございます。

あい☆えがおBOX

あい☆えがおの
ボランティア活動です。

あい☆えがおBOX活動は、
2011・3・11東日本大震災のとき
被災地にひまわりの種を送らせて頂いた時から
始まりました。

直後に義援金をお送りさせて頂きましたがもっと何か被災地に私が出来ることを・・と思っていた3月27日
参加していた、三田市での震災チャリティイベントでてんつくマンさんが熱く語られたメッセージ!
( 被災地に花をいっぱい咲かせたい。花の力で、被災地を元氣にしたい。
特に 放射能を吸い取ってくれる ひまわりの花を一面に咲かせたい・・。 ぜひ協力してください。)

その言葉を受けて、思い出しました。
ふたりとも、もう亡くなってはおりましたが長く続いた祖父母の介護で、体も心もボロボロになっていた両親を佐用町の
ひまわり畑に連れて行った時明るく咲く一面のひまわりの花の中で、両親がとても和やかに元氣になってくれたこと。

  • 写真は2011 お米の袋はヒマワリの種

その約10日後、播磨掃除にまなぶ会で、
「ひまわりの種を送りたい。ご協力ください。」とお伝えしましたら、
するすると山形校長先生が佐用町の農事組合長様にお繋ぎくださって、佐用町農事組合様から
30キロ用お米の袋にひまわりの種をぎっしり入れて6袋分、あっという間にお届けくださいました。

この内、2袋は山形校長先生に。そして、4袋を4月末被災地にボランティアにいらっしゃった、
め組JAPANのお仲間の元へお届けさせていただいて、被災地へとお運び頂きました。
今、 さまざまに広がっている東北でのひまわりの活動。
この時の佐用町様のひまわりの種のお蔭も・・と実はひそかに喜んでおります。
それからイベントの日、同じくご縁を繋いで頂いた福島県須賀川プリムラ保育園園長の熊田富美子さんのもとへ
そしてその秋、繋がった宮城県石巻泊浜山王の区長様の元へは毎月3年間 私どもが出来る範囲で、支援物資・義援金を送らせて頂きました。

今は、お仲間たちと熊本地震被災地へとお送りさせて頂いております。

あい☆えがおBOXは、
姫路市福中町24番地 ワインギャラリーコレットさんにご協力いただき
店奥に常時置かせて頂いております。
「あい☆えがおでは、被災された方への義援金支援を受け付けております」
よろしければご連絡くださいませ。

ラリーニッポンとつなぐ 姫路和こころ祭

ようこそRALLY NIPPON(ラリーニッポン)。

ラリーニッポンとつなぐ 姫路和こころ祭実行委員会。
2014年11月9日(日)RALLY NIPPONが姫路城前に。

RALLY NIPPONは2009年から始まった、アジア地区で最も注目されている
クラッシックカーのラリーイベントです。
毎年、数多くの国際的な媒体も取材に訪れ、
国際的に有名な企業の後援も数多く・・。

そして、大切なのはRALLY NIPPONの精神。
ただのクラッシックカーラリーイベントではなく、RALLY NIPPONは自分たちがクラッシックカーで走ることによって

「文化と精神面の交流・伝達を重んじ、人を繋ぎ、文化や、伝統・歴史・日本の精神・美しさを伝えていく、繋げていくこと」

を精神とされています。その活動が認められ、唯一日本観光庁の支援も受けている団体です。 日本の美しい精神。それを、伝えるためRALLY NIPPONの皆様は祈りながら走られます。

2012年のラリーは、靖国神社を出発して各地の神社を回り、京都上賀茂神社までの3泊4日。

2013年は、台湾一周の3泊4日。
一番の目的としては、東日本大震災への世界一の支援に直接感謝を伝えるため。そして、文化遺産や歴史的建造物を訪れ歴史に触れ、各地で人と交流し文化を体験することによって、台湾を深く理解し台湾の美しさを国内外へ発信するためです。
台湾では、熱烈歓迎を受けながら『謝謝台湾』などのメッセージを書いて走られたそうです。
台湾へのラリーでは、それまで参加者の多くは台湾と日本の正しい歴史をあまりご存じなく、あちらを走って皆さんから「お帰りなさい~」と熱烈に迎えられ、はじめて統治時代の日本と台湾の歴史も学ばれ、日本人が造った建造物や、八田與市さんのことなど、多くの偉人の話も学ばれ自分たちにとっても、大変嬉しい学びと交流ができましたとRALLY NIPPONの理事長小林雄介さんが、仰っていました。
台湾では、4日間で沿道に21万人の観客が集まってくださり台湾政府からその後、観光大使に任ぜられたそうです。

2014年は、11月7日福岡・大宰府を出発。8日出雲大社に正式参拝。9日姫路。10日京都上賀茂神社の3泊4日。

各地の人と文化・縁・歴史などを結びながら約100台のクラッシックカーが走られます。中には、動く芸術品といわれる7億円もする車も。滞在時間は、昼食を召し上がって頂く時間もふくめて約1時間30分と短い時間でしたが、そばで見せて頂くことも搭乗者と交流することも出来ました。
今回のRALLY NIPPONに参加するため、海外から早々に20組もの申し込みがありました。
ちなみに、日本から台湾へクラッシックカーを飛行機で送られた運賃は150万円だったそうです・・。めったに見られない高級クラッシックカー、めったにお会いできない方々に出会える交流できるせっかくの素晴らしい時間です。車に興味のある方もない方も、大人も子供もRALLY NIPPONをお迎えする時間だけでなくその前後も、みんなで一緒に楽しく過ごせる時間と場をみんなで作り上げて、行ってよかった。迎えてよかった。と、みんなで喜べる空間を、皆様と共に。。。

RALLY NIPPONの皆様方は、世界中に向けても、大変発信力も大きい方々です。あたたかいおもてなしで、喜んで頂ければ、様々な方面において、その後のご縁にも繋がっていきますし、姫路・姫路周辺と姫路のおもてなしを世界中に知って頂ける素晴らしい機会になります。RALLY NIPPONをひとつの柱として、イベント会場である大手前公園や、お城前周辺、姫路駅前・駅周辺商店街、

すべてを、繋いでお客様に楽しんで頂く。喜んでいただく。みんなが元氣になる。そんな三方よしのイベントに姫路の皆様と作りあげて、姫路の街を、みんなを仲良く、元氣にしたい。

世界に、姫路のおもてなしを発信しながら、RALLY NIPPONの皆様と共に、日本と、姫路播州の文化伝統美しさを伝え、世界の平和を祈りしました。